心配や不安から来る観念と思い込みと「ふと」思うときの直感の考察

あなたは勝手に思い浮かぶイヤな観念とふと思うときの直観を区別していますか?

抽象的且つ各々の感受性や捉え方によるので難しいのですが、勝手に浮かぶイヤな観念と
ふと思うときの直観を意識したことはありますか?

私は最近少しこの区別ができようになった?気がします。といってもほんと少しだけで、
観念なのかどうか不安におののくことは未だに変わりませんが。

 

筆舌に尽くし難いですが、観念から派生する種の感情は恐怖が凄まじいですよね!
ふと思うときの直観は何となく恐怖というのはあまりないような感じがするのです。
あまりないというより恐怖という感情はないと思います。

 

何となくそう思うとしか書けないのですが…

 

先への不安や心配事は枚挙に暇がないのですが、直観を信じてみるのも生きるヒントに
なるかも知れません。

 

こんなことを書くとスピリチュアル寄りの人間に思われそうですが私は無神論者です。

 

あなたも私と同じようなことで、悩むことがあれば参考にしていただければと思います。
事項からはさらにオカルト?と思うよう内容も出てきます。

この手の話が苦手な方はこれより先はお読みいただかない方がいいかも知れません。

物事をどう捉えるのか?最後は自分自身を信じるしかない!

不安や心配に関する不快なイメージから派生する観念でも自分自身にとって不都合なこと
はとにかく抗えば抗うほど勢力を増して、私たちに恐ろしいことを囁いてきます。

 

そして、それに反応した私たちは縁起などを担ぐために、この囁きのときはここの道のこ
のタイルを左右同時に踏んで打ち消すという奇矯な行為をすることで一時的な不安を消し
たり消毒したり繰り返し行動をして安心を得ようとします。

 

だけどこれらをいくらやっても一時の安心感しか得ることができませんね。
安心してもすぐにまた別の形でイヤな囁きが聞こえてくるのでやはりきり
がないのです。

 

またご存じのように何か行動をすればするほどひどくなりますね。
建設的な営みじゃない行動をするとひどくなると感じます。

 

当たり前の話ですが最終的に守ってくれるのも助けてくれるのも自分自身なのです。
変な言い方ですが、自分の魂を信じるしかないということだと思います。

 

なのでたまには直観で物事を感じ取るということも必要なのかとも思うのです。

シンクロニシティというのは本当にあるのか?

あなたも一度はシンクロニシティという言葉を聞いたことがあると思いますが…
心理学者のカールグスタフユングが提唱した概念で、「意味のある偶然の一致」など
と言われています。

 

例えば、何年も会ってないある人のことを考えていたら偶然で遭遇した、自分が思い出せ
なくて考えたり悩んでいたりしたときに、あるカフェに入ったときに偶然他の客同士がそ
の内容のことを話していて思い出すことができた、これが食べたいと思っていたら偶然に
知人にお土産として貰った…etc

 

いろんケースがあると思いますが、シンクロニシティ理論をを研究してる人も世の中にた
くさんいますが、一般の人は言語では説明ができずこれを超越して起こる何か不思議なこ
とと捉えることが多いと思います。

 

そして、一般の多くの人はこれを心理的な事柄と物理的な事柄を超神秘的な事柄として結
びつけるようです。

 

前述のように私は無神論者なのでこのようなことはわかならいのです。

 

ただ、このような現象を体験してモヤモヤと囚われたり、不安や心配や恐怖などから派生
する様々な不快なイメージや観念などに支配されなければこのような言語で説明できない
ことは何か生きる上でヒントがあるのかも知れない?と思います。

前の週にあるホテルのHPを何気に見ているとその次の週にそのホテル泊まることになった件について

私には目標にしているあることがありまして、その繋がりで私は近い将来(来年か再来年)
あたりにはこのホテルに泊まるのかなということを思ってHPを見ていました。

 

これは先月のある週でしたが、なんとその次の週にそのホテルに泊まることになったの
です。

 

それは日本国内なのですが、私の場合東京に住んでいるのでそこへ行くにはほとんどの場合
飛行機で移動しなければ行かない場所です。

 

偶然と言えば偶然なのかも知れませんが、事前にHPで見たホテルの客室紹介動画の眺望も
だいたい同じような位置だったので、ん?と思ったのです。

 

これは言語化できませんが前述したシンクロニシティ?のようなものなのかな?
と捉えることもできますが…

 

あなたもこのような体験はないでしょうか?私はこの件について普段の不安や心配、恐怖、
不快なイメージや観念というのを感じなかったのですが。

 

ただやはり不思議だなという感じはあります。何か生きていくためのヒントが隠させている
のかどうかはわかりませんが。

 

最後は自分でどう解釈するのかということに尽きるのだと思いますが…

 

この記事は自分自身書いていてもまとまりがなく不思議な感じで、何を書きたいのかも私自身
もよくわかっていません。

様々なことに支配させていたり、悩まされている神経質気質のあなたの参考になるのかわかり
ませんが参考になれば幸いです。

病気ではないのかという不安と心配にはハードな運動で負荷をかけて!

基本は健康だけどどこか不調が出ると病気への不安や心配が強くなることないですか?

健康体でも腹痛が続く手や足が痛いしびれる片頭痛が多くなったような気がするなどとい
うこともあると思います。

 

一過性の場合はあまり気にならない(人によって違う)かも知れませんが、継続していたり
断続的に続いていたりすると不安や心配に押し潰されてしまうことと思います。

 

心配だから調べると最悪なケースを想定して考えてしまい様々な思考の嵐が襲って来ると
思います。

 

そうするとネガティブな発想になりがちで、メンタルも落ちてきて精神的にもつらい状態
に悩まされる時間が多くなると思います。

神経質であるとただでさえ不安が強いのに、上記のような痛みやしびれなどの自覚症状を
伴う場合は余計に不安定になりますね。

そのため神経が過敏に働くだけでも特定の部位に痛みが出るということもあり得ます。

 

この不安や心配の思考の嵐の渦に一度巻き込まれると、冷静に見ることもできないのも
厄介なところですね。

 

どこで何をやっていても不安と心配を抱えている時間の方が相対的に長いので気持ちが
悶々として、自分と時間が切り離されているぐらい没頭してしまっていることもあると
思います。

 

何かしていても上の空で、勉強や仕事など物事への集中にも影響が出てくると思います。

 

事項からは病気に対する不安や心配などとの付き合い方を書いていきます。

 

非常に難しいけどあなたにとってポジティブになる事を妄想する!そして今を意識することにフォーカスしましょう!

病気に対する不安や心配に関しては、そのまま不安をやり過ごすのが今のところ一番なの
ではないかと思っています。

「一度棚上げしよう!」と思って簡単に出来るものではないです。気持ちを瞬時に切り替
えるにはトレーニングが必要です。それに何でもかんでも万能すぐに切り替えられるとい
うものでもないと思います。

 

なので、何かハード運動をしたり身体を動かすしたりことで気づいたら「棚上げ」されて
いたというのがいいのではないでしょうか。

 

それは、勝手に観念や想念などの思考が働き過ぎてしまうからです。この強烈な思考の嵐
から逃げるには先述のようにハードな運動がいいのですが、身体が痛いなどという場合に
は安静が必要こともあるので、ハードな運動ができる場合はこちらをおすすめします。

 

で、話が逸れましたがあなたにとって少しでも不安や心配から切り離すことが出来
るようなことは何ですか?

 

できるだけ、子供心で考えるようにするのがいいです。
あなたにとってもポジティブになれるようなことなら何でもいいんです。

 

このときにできれば出てくることを紙に書き出すということをした方がいいでしょう。

 

そして、楽しそうなことが出てきたらそれを追求してみることで、あなたが本当に
やりたいことなどを再発見できることもあるかも知れません。

 

余談ですが、やりたいことに関してはすぐに答えが出てくるものではないので、
普段から自分自身と向き合っていないとなかなかわかないことです。

 

自分のことでも潜在的にあるものは案外わかならいってこともありますね。
やってみて初めてわかることもたくさんあるではないでしょうか。
考えるより子供のように気の赴くままに感覚で動くのヒントになります。

 

で、また話を戻しまして自分自身の楽しいと思えるそうなことをとことん掘り下げて
思うがままに突き進んでみる作業にエネルギーを使います。

これが長期的にみてもいいと思っています。

 

また、

 

相対的に不安や心配で悶々とする時間が短くなれば、なるほど不安に陥ってもあなた
にとって楽しいことを発見できていれば今すべきことに意識を向けることができるよ
うになると思います。

 

大変ですが、少しづつでも一歩前に進んでみていただければと思います。

 

制約がなければ超ハードな運動をするのがいい!!

不安や心配から気を逸らすのにもっとも有効なのが超ハードな運動です!!

考える余地を与えないぐらいの格闘技などがおすすめです。他の記事でも書いてると
思いますが、私のやってるキックボクシングなんかは全身運動で囚われてる暇がない
ぐらいに激しいものです。

 

ちょっとした隙があると相手に殴られてしまうので、自分を守るためには攻めるしか
ないのです。

 

相手の反応を見ながらの全身運動なので、普段使わない神経回路も使うので脳トレに
もなると思います。

 

継続することで他の神経回路も鍛えられていけば、不安や心配をつかさどるような
神経回路も相対的に弱くなると思っています。

 

他の神経回路が枝から太い幹になればいいサイクルができるます。

 

運動効果は科学的にもいろんないい影響を与えてくれるということが言われています。

 

しかし、私は別にキックボクシングを推奨してるわけではありません。
あなたに合った運動をすればいいのです。

 

是非何かご自身に合った運動をしてみていただければと思います。

病院嫌いだけど用事のないフロアをところどころ回り雰囲気を感じて思ったこと

私は昔、カウンセリングのために比較的規模の大きな病院に通院していたことがあり
ました。

 

その病院は築数十年経つような古く、汚い病院で陰気臭さも漂っていてカウンセリング
に来てるのに行くだけで陰鬱な気分になるようなところでした。

 

しかし、私はこの病院の部外者が立ち入れるエリアをほぼ雰囲気を感じるためにわざ
わざ回ってみることにしました。

 

すべての病棟のフロアの廊下を端から端まで歩き、手術室の外側のエリアまで回りま
した。

 

手術室のフロアはカウンセリングの先生に協力してもらい一緒に回ってもらいました。

 

カウンセリングに通うためにいやな雰囲気に呑まれないようにするという目的であち
こち回ったのですが…

 

やはり、当たり前の話ですが気分のいいものではありません。

 

緊張で汗みどろになりました。潔癖でもある私なので、「病院=病原菌」などという
方程式がすでに私の中にありましたので視界に次々に入る医療機器などに触れたので
はないか?という思いを抱えながらビクビクと回りました。

 

このような状況なので、身体をどこにも触れないようにという思いから脇を閉めて
小さく、小さく歩いて回りました。

 

私はワキガではありませんが、常時脇を閉めていたのと緊張で大量の汗をかいたので
蒸れて臭くなったのを覚えています。

 

このようなことを繰り返して、外来1階のカウンセリングをしているところにはイヤ
な雰囲気に呑まれながらも行きやすくなったと思います。

 

あなたも病院に行くのに不安を感じていたら、私のようなことをわざわざする必要は
ありませんが、参考にしていただければと思います。

神経質の人の左右対称性による拘りを緩和する考え方

左右の物のわずかな長さ、左右の微妙な形の差異で振り回されていたら少しラクになるヒントになるかも知れません。

あなたは多くの人が気づかない左右の対称性を求めて膨大な時間とエネルギーを消耗する
ことはないでしょうか?

 

それはわずかな靴紐の長さのズレだったり結んだ時の輪の大きさや紐が垂れてるときの角
度など…etc

細部にまで拘るのは神経質の人の特徴のひとつでもあります。

 

靴紐ひとつとっても人それぞれ何に執着するかどのような不安や心配によって、または漠
然とした不安や気持ち悪さによるものに長さなどの左右対称性を異常なまでに固執するこ
とだったり千差万別です。

 

気分や状況によって変わってくるこもと多々あると思います。

 

この記事では多くの人が気に留めない些細と思われることで、日々疲弊されている場合に
お読みいただくことで少しでも生きやすくなることを目指しています。

 

事項からは多くの人が気にしないであろう左右対称への強いこだわりへの付き合い方など
をまとめていきます。

ミクロ的には左右対称はない!もう少しマクロ的に見る癖をつけるのが現実的!

人の顔の目、鼻、耳、眉、頬などすべて全く左右対称の人はこの世に存在しません。

どんなSS級のモデルであってもわずかな骨格の差があったり、片側の口元にほくろがあっ
たり、目の大きさや角度、左右の輪郭などすべて左右対称ということはないのです。

 

これを追求すると恐らく素粒子、量子物理学や最終的には宇宙レベルまで話を展開しなけ
ればいけないのでこの記事では割愛しますが、先ずは地球上の物事左右対称ではないとい
ことを頭の片隅に置いていただければと思います。

 

その上で、

 

「木を見て森を見ず」的な見方ではなく、ぱっと大きくマクロ的に俯瞰して大きなずれが
なければ問題ないという考える癖をつけた方がラクに生きれるはずです。

 

このマクロ的という表現も曖昧さや気持ち悪さを覚えてしまい誤解を産む可能性もあるの
で具体例を少し取り上げます。

 

前項で靴紐の例が出しましたが、

 

靴紐の長さの場合結んだ後の先端の部分の長さでも、結ぶ際に左右のバランスを見ながら
均等に結んでもズレることがありますね。

 

これは靴その物の素材や素材の個体差、製造段階での微妙な差異などの要因もありと思い
ます。

例えば左の5番目の紐穴の部分と右の4番目の紐穴部分が製造過程で微妙にずれていると
いうような場合です。もちろんだからと言って不良品にならないほどのズレです。

天然皮革であれば更に個体差に影響するのでこのようなことはよくあることだと思います。
「個体差により若干色の風合いが異なる場合があります。」などと皮革製品の取り扱いの
タグなどに表記されていることがありますね。

 

ましては革の物で職人がひとつひとつ手作業で作るような靴であるとなお更個体差が出て
きてしまうでしょう。

 

機械で作っても微妙なバラつきのようなものは出るのですから。

 

なので、ご自身の感覚値で何ミリのズレだったら合格という風にした方が時間も精神的に
もラクなはずです。

 

「左右対称完璧な物はない」
     
「〇〇mmのズレだから合格」

このように思考する癖をつけるのがもっとも現実的で生きやすくなると思います。

 

もちろん、最初は気持ちが悪いと感じるですが私も靴紐の結び方で長さが合わない度に何
度もやり直し時間と労力を使っていたことがありましたが、このようにすることで大分ラ
クになりました。

 

拘りすぎるときりがない!時間と労力を浪費してしまう!

左右の対称性や物の定位置などに関して不安や心配からくる思考もやはり多大時間と脳の
リソースを浪費してしまいます。

 

時間や回数を決めてもそのときの感覚に納得がいかなかったり、拘りの対象が他のことに
移り変わってしまうこともよくあるからです。

 

なので精神の安定のために繰り返すのは理解できますが、左右の対称性については前述し
たように、世の中に左右対称の物はないということを前提にした上で〇〇mmだったら、
OKという風にするのがポイントだと思います。

 

普通に歩いていても靴紐の長さは変わってくることもありますね。

 

歩き方でも人それぞれ癖がありかかる圧力でも左右のクセで変わってきてしまうからです。
当然ソールの減り方も左右違ってきます。

 

なので心労を増やさないためにもあなたなりの合格ラインを決めておくことをおすすめし
ます。

 

物の定位置と眉毛の左右の形について私が思うこと

今まで左右の対称性について書いてきましたが、かくいう私も神経質でこのようなことで
もこだわりがあります。

 

所定の位置に物がないと気持ち悪いですし、物の向きや物によっては角度にも気にすると
きがあります。

 

やはり冷静に見るとこれらも自分の内面からくるもので不安や心配という感情があるもの
です。抽象的に考える神経質の人はこのような傾向があると思います。

 

話は変わりますが、

 

最近行き始めた美容室で眉毛のブラジリアンワックス脱毛をしてもらったのですが、私の
眉毛の左右差で右側が微妙に角度が上がっているようです。

ここの右の角度は残して左を合わせた方がバランスがいいということを担当の美容師さん
が言っていました。

 

じゃあそのようにしてくださいとお任せしたのですが、左右差の骨格がもちろん違うとい
うことです。

 

また、ピリピリすると右目を上げるような癖があるのでこういうのも影響しているのは自
覚していました。右の額にシワができやすいのです。そして左の額の方が少し広いのです。

 

左右の骨格の差異はもちろん、なぜピリピリしたときに右側を上げる癖があるのかまでは
不明ですが、癖なども左右に差が出てくるのかと思いました。

 

余談ですが、眉毛の永久脱毛は考え方にもよるようですがトレンドに左右されたり加齢に
よっても垂れ方も変わってくるようで、気になる方は眉毛の永久脱毛はしない方がいいよ
うです。

観念や雑念は打ち消さず「今この感覚」にフォーカスしよう!!

精神を安定させようと雑念を打ち消そうとしていませんか?

この文章を書いてる時点でも私のアタマの中では雑念や観念は強弱はあるものの
出ています。

 

それでもキーボードを打つことに意識を向けて何とか打っています。文字をタイプして
あなたにお伝えするということにフォーカスするようにして書いています。

 

あなたも私のように今悩まれていると思いますが。

 

雑念などでメンタル不調がひどいときの対応策として、この記事では私自身の備忘録と
してもまとめていきます。雑念への付き合い方で悩まれていたらあなたも頷けるところ
があると思います。

 

この記事を読んでいただいて少しでも生きやすくあなたのQOLをあげていただければ
幸いです。

 

雑念なんて打ち消せない!思考で思考をコントロールしようと思うと泥沼にはまる!

観念や雑念は正常な人間であれば多少なりともあるのが一般的のようです。

しかし、完璧傾向が強かったり真面目過ぎたりすると何事に於いてもこれらを取り除い
てスッキリした気分で何かを取り組もうとします。

 

スッキリした気分で受験勉強をしたり資格の勉強をする、日々すべき仕事や日常の雑務
など様々ですが…

 

ところが皮肉なことにあなたも経験あると思いますが、必死になってコントロールしよう
とすればするほどどんどん捕らわれてしまいます。

 

それは例えば昨日食事をした店の店員の胸元にあったネームを見てあの人なんていう
名前だったけ?

 

思い出せない

気持ち悪い

勉強などがはかどらない(手につかない)

アタマで検索してるけど出てこない

疲れる

あーもう勉強に集中できない

 

グルグルとアタマの中で色んな考えが独り歩きしてしまうのは多分あなたも経験あると
思うのですが…

 

この気持ち悪いのを取り除こうとすると心身が疲れてしまいグタグタになってしまうと
思います。

 

ダジャレのようですが、観念や雑念を「取ろうとすれば徒労に終わる」のです。

 

なのであまりにコントロールできないときには気持ち悪いまま渋々、イヤイヤでも
いいので今すべきことに神経回路を作るイメージすることも大事です。

 

アタマの中で次から次へ出てくるのは観念や雑念は生理的な欲求と似たところがある

先述のように観念や雑念は正常な人でも起こるものです。

わかりやすい例として、どこかの至って普通お父さんが何かのメロディーを口ずさんで
いたりすることを聞いたことがあるかも知れません!?

 

かくいう私もこの前ビートルズの「something」のメロディーがアタマから離れなくなる
(口ずさんではない)ことがありました。

 

これ後で思い出したのですが、ある店で買い物をしてるときにUSENか何かだと思うの
ですがBGMでかかっていたのです。

 

このように無意識に出てくるものに関しては、汗を止めるように躍起になったり、排泄を
我慢したり生理的な現象に抗っているのです。

 

自然に出てくる雑念、観念は放っておくのがいい!

雑念や観念があってもそのままにしておくことです!
「お前!は何を言っているんだ!」と叱責されると思いますが、
おっしゃることはわかります。

 

というかこの文章を書いている私でも飲み込まれてしまいそうなことも今でもあるので、
あなたがそう言うのももっともでしょう!

 

その上で、

 

そのままの気持ちの悪い状態のまま勉強なり仕事なりをしていくのです。

しかし、この状態では思考が先行しているので、手を動かすなどの感覚に意識を向ける
ことに意識した方がいいと思います。

 

すこしでも感覚に意識をむけられる時間が増えれば雑念、観念も弱くなるから
です。

 

それでもダメなときは10秒でもいいから「今の感覚」を丁寧に意識を向けるみる

あなたが、雑念、観念の渦中でもがき苦しんでいるときには10秒でもいいので
「今の感覚」に意識を向けてみてください。

 

今どんな音がしますか?雨が降っていて車のタイヤが水しぶきをあげて雫が路面に落ちる
ような音だったり、部屋の中のかすかに聞こえる冷蔵庫やエアコン、加湿器などの音だっ
たりするかも知れません。

 

静寂つつまれている部屋のなかではあなた自身の呼吸の感覚かも知れません。

 

ものすごく大変だと思いますが、ほんの少しづつでもいいのでこのようにイメージする
意識を向けてみてください。五感を使って感じる時間を10秒づつでもいいので増やし
てほしいのです。

 

真面目過ぎる、完璧主義などの神経質気質の性格や物の考え方はやはり何事に於いても気
を抜けないというプレッシャーからかあまりに生きづらさを感じるのだと思います。

 

だから何かバランスを取るために歪みが出るのだと思います。

 

私も神経質気質なのでいまだに日々辛い思いをして苦しみの中で生きているのですが、
そんな中でも息抜きをする意識を持つことは非常に重要です。

 

飛行機の翼(ジャンボ機)は8メートルほどしなるように設計されています。
何故しなるかというと衝撃を分散するためです。

 

しならない頑丈な翼で気流の悪いところを飛行していたらどうでしょうか?

 

衝撃を分散できないのでどこかのタイミングでボキッと折れるでしょう!
折れたら墜落してしまいます。

 

心(脳)の働きも同じようにとらえることができると思います。
いつも気を抜けずに完璧を求めすぎたりするとやはり心身が病んでくるのは
当然ともいえるでしょう。

 

しかし、私もそうなのですが神経質気質を持ち合わせていると厄介なことに無意識で完璧
を求めていたり、きちんとしようという意識が強すぎて程々にバランスよく折り合いをつ
けることが難しいです。

 

ここに関しては意識して思考しなければいけません。辛いところです。
これ以上やると心が折れると見抜くことが大事です。

 

イライラする、溜息が出るぐらい雑念や観念を打ち消そうとしていたら強制的にでも一度
先述したように感覚に五感に意識を向ける努力を少しでもしてみていただきたく思います。

 

また駄洒落で申し訳ないですが、

「いいかげん」
   
「よいかげん」
   
「ええかげん」

というように気持ちを向けてみるのもいいかも知れません。

 

雑念は多少はしょうがないか!

ちょっと呼吸を丁寧に感じてみるか(五感)

鼻から空気が吸いこまれるとそれに伴って肺が膨らみ、吐くときは
肺に入っていた空気が抜けて風船をイメージしてみたり。
(私は風船恐怖症です。)

何回か丁寧な呼吸を意識しているとどかで雑念が薄くなってるのに
気づくはずです。

ハイ、「ええかげん」でええわ!

 

これで勉強、仕事に意識を向けるイメージを蓄積していただければいいかな
と思います。

 

疲れたら親のせいするのもあり!だと思う私なりのバランスのとり方

疲れたら親のせいするのもありだと思います。私は神経質的な気質は遺伝も多少
あると考えているからです。

 

実際そういう人も結構見ているので同じDNAがあるとそういう気質も出る
ことがあるのは素人目からしても納得がいきます。

 

お前のせいで生きづらさを感じてるんだ!
お前のDNAに問題があるから精神的に疲れて苦労をしているんだ!
オレがバランスが悪いのもお前のせいだ!オレの人生に責任とれ!

…etc

 

なんでもいいと思います。常に親のせいばかりにするのも困りものですが、
息抜き程度にならいいと思います。

 

またそういう一面もある自分も認めてあげるのは大事です。

不安と心配を抱えたまま他のことに少しだけでも意識を向けよう!

同じ箇所をずっと見続けてしまい、そこで立ち往生していませんか?

漠然とした不安や心配のために、気になるタイルの模様の特定の位置だけ見続けたり
ガスの元栓のつまみが閉じている…etc

ずっと同じ部分を見ることに執着してしてしまっていて、何をしてるのかよくわから
なくなってきたなんてことはないでしょうか?

 

ずっと見続けるあまりに元栓を閉めたかの確認のためが、つまみの経年劣化による使用に
よる支障のないほんのわずかな傷が気になり始めてしまい、さらに自分の内から湧き出る
感覚や想念などに支配されてしまう。

それらを打ち消すために見続けてしまうなど。

 

観念や想念などの内から出てくる一種の感情は人それぞれ違いますが、神経質で繊細な人
に共通して言えることは心地よいものではないということです。

 

いずれにしても何かに注意深く集中して観ようとしているのに、集中を遮断する感情が湧
き出て苦痛な感覚を感じてしまい、特定の部位の感覚だけ以上に強くなってしまうことも
あるかも知れません。

 

この記事ではこういうときに不安や心配を感じながら物事への取り組み方などを方法を
まとめていきたいと思います。

不安や心配の種をほじくり回さないで共存しながら物事を進めるのが賢明!

不安や心配のという種の感情はそのままにしておいた方が結果的にはラクになることの方
が多いように思います。

そして、その渦中にいる本人にとっては不安でおののくこともあるのは事実です。

 

根掘り葉掘り突き詰めるとどんどん抽象的になっていき、行きつくのは自分自身で洗脳
してしまった固定観念を創造と誘発してしまうからです。

 

道を歩いていても「このタイルを左で踏んだのだから、右でも踏まないと悪いこと
が起きる」などは、自分自身の中にある破綻した論理です。

それもあまりにも抽象的且つ外の世界の出来事との関係性は極めて薄いと思われる
事柄ではないでしょうか?

しかし、考えが飛躍して、あっちこっちに次々と考えが派生してしまうので本人にとって
は重大なことになってしまっているのです。

 

自己洗脳と思い込み?によりこのような不安や心配に囚われてしまうのでしょう。

 

今私が「思い込み」に「?」をつけたのはこの文章を書いていてある種の未来への
不安を感じたからです。

 

と、こういう風に書いている私ですら自分の中で派生するトラップに陥ってしまい
がちです。

 

自分の内から湧き上がることに日々反応することが多くなると、それだけ疲労も蓄積しや
すくなってしまいます。

 

日常生活にどれだけ支障があるかだと思いますが疲労は激しいはずです。

 

このようなときには、私は「今私は縁起でもない洗脳をされている」
別の話と「混同、混合している」などと行って凌ぐようにしています。

 

こうやって唱えることで(口に出さなくても意識することも大事)余計に思考を入れずに考え
を派生させないようにしています。

 

こういう意識を持ちながら今すべきことにフォーカスするようにしています。

 

もちろん不安や心配が強いときは打ち消したりすることはありますが、比較的気分が安定
しているときはそれほど違和感を感じずに思考の切り替えができます。

 

何度も反復するというのは大変ですが、少しは生きやすくなるはずです。

不安や心配と共存しながらも「今思考している」という傍観する意識を持つことは大事

不安や心配は誰でも付き物です。なので誰もが共存していますが、あまり気に留めないで
生きてる人もいます。

 

こういう人たちは個人差もありますが、気持ちの切り替えが早かったり考えないようにす
るのがうまいのでしょう。

 

なので考えないようにしていても思考しちゃうのは仕方ないのですが、
「今思考している」という意識を持つようにしましょう。
だから他のことに意識を向けようと考えるのです。

 

何か不安や心配事を「思考」し始めたら輪ゴムで頬で「パチン」と痛いという
感覚に切り替えるのもいい方法です。

 

なにせ、不安や心配という思考グセがついてしまうと物によっては一生悩むことができて
しまうからです。

 

そして、身体も精神も余計にエネルギーを消耗してしまうので悶々と過ごすことになります。

 

最初は大変ですが、「今」というのを何度も自分自身に言い聞かせること
を習慣にすると不安や心配を手放せる時間が長くなると思います。

 

是非、ご自身を信じてやってみみていただければと思います。

 

神経質な人が不安や心配が多くそれを感じるのは、最悪を防ぐための準備なのか?覚悟を持つためなのか?私なりの考察

現在、将来への不安や心配は人それぞれ多かれ少なかれありますが、私の場合何かに打ち
込んでるときでもふとした瞬間にそれらの感情に襲われることが多々あります。

 

最近思うのですが、これは自分がしっかり覚悟を持って物事を取り組んでなかったり本当
にやりたいことに目を背けてるからなのではと思うことがあります。

 

逃避しつづけてると同じような問題が襲ってきたりするような気がするからです。

 

そして逃避していると、準備をすることも怠るので余計に不安と心配のサイクルに呑まれ
てしまっているような気がします。

 

でも、覚悟決めて取り組もうとした瞬間はスッと心配や不安は消えるのです。
しかし、「あぁ、いいや」などと思った瞬間また元に戻ってしまいます。

 

アクセルの踏み込み方が甘いのかも知れません?アクセル踏んだと思ったらブレーキかけ
てみたりするから不安になってるのかも知れません?!

 

直観で行動することがあってもときにはいいような気もします。

 

あなたも、何かモヤモヤしていることなどがあれば一気にアクセル踏んでみること
もありかも知れません。

 

あなたなりに試行錯誤してみていただければと思います。

不安や心配が極度に強いときは動きまくってグタグタになった方がいい!

あなたは悩みだすと日々脳内で自分を叱責しつづけてないですか?

神経質で不安や心配、取り越し苦労などが多い場合で悩んで悶々としていて何もできない
ず、時間とエネルギーばかりが消費してしまい物事が何も進まないということはないでし
ょうか?

 

この記事では、とにかく能動的な姿勢が必要なためご自身まだでその段階ではないという
場合にはこれより先読んでいただいてもあまり現実的ではありません。
なので、コチラを参考にいただければと思います。

 

しかし、ご自身でできるシンプルな方法をまとめていきたいと思います。

暇であるから余計な事を考える!脳みそに考える余地を与えてはいけない!

過去への後悔や不満など憤り、未来への不安や心配など人間生きてると悩みがつきない
ものです。

 

この章のタイトル「暇であるから余計な事を考える!」というのは神経質気質の人に
とってはかなり乱暴に聞こえてしまうでしょう。

 

書いている私ですらそのように思うのですからごもっともです。

 

ただ、このような邪気を振り払うためには、敢えて乱暴ないい方をすることも場合や
状況によっては必要と考えています。

 

極端な話ですが、あなたの目の前に体長3メートルほどの大きなヒグマが表れて立ち
上がり両手を上げていたらどうでしょうか?

 

条件反射的に逃げることでしょう!
考える暇なんてありませんね。必死で逃げるしょう。

 

これと似たような状況を意図的に作るのです。

 

それが格闘技などのハードなスポーツです。考えたり悩んだりする隙があるとすぐに
相手にやられてしまうような運動をするのです。

 

ここでは考える余地を与えてはいけないので、一人できる運動ではなく相手がいて
成立する運動をすることを強くおすすめします。

 

私はキックボクシングをしています。マススパーリング(相手のとの練習)では、
ちょっと隙があると殴られたり、蹴りが入ります。

これをやってるときは何かに悩んだりさせられるということがありません。

 

全神経を使っているからなのでしょう!
とにかく全身を使い反射的に動かなければいけないので、普段使ってない他の脳を
使っているのだと思います。このときは不安や心配という種の感情を忘れることが
できます。

 

別にキックボクシングを推奨しているわけではありません。あなたにあった格闘技
をやればいいと思います。またはハードなスポーツを。

 

練習が終わった後はスッキリとした心地よい疲れも感じることができので入眠
もしやすいと感じています。

 

こういうことを生活の一部に組み込むことができれば悶々とする時間も相対的に
減るのでいい状態を作ることができると思います。

 

変えられる環境は変えた方がいい!

環境を変えるということで一番手っ取り早いのは、部屋の不用品を整理するというの
が一番簡単です。

カンタンというのは語弊がありますが少しでも快適に生きたいと思えば断捨離などは
いい方法です。

 

着ない服、読まないで置いてある本、必要のない書類などで部屋のスペースを
ムダにしていませんか?

 

物が多いと掃除がしにくくなり気づけば埃だらけになってるということはないで
しょうか?

 

埃が塵になるともう掃除なんてする気も失せてしまうことでしょう!

 

手も服も汚れるので、そういうところから汚れた箇所は触らなくなりどんどん
と汚れていくものです。だったら思い切って捨ててみることです。

 

新しく服を買っても3年は着ないというデータもあるようです。
本でも埃をかぶっていてもう愛着がないと感じる本は捨てた方が
いいと思います。書類も然りです。

 

物を処分して部屋をキレイにしていく過程がかなり大変なのですが、スペースが
広くなったのが目に見えてわかるので、これを感じるようになると継続しやすく
なります。

スペースができると今までの気分が変わってくるのも実感できるはずです。

 

断捨離するといいことづくめ

断捨離すると今まで身についてしまった悪い習慣などもリセットすることができます。

 

キレイなった部屋を汚さないようにするために不要な物をすぐに捨てる習慣が身に
付いたり、朝の簡単な掃除も苦もなくできようになります。
キレイがつづくからです。

 

もちろんキープするにはいくつも工夫やしかけが必要でして、その方法はこの記事では
割愛しますが、日々の精神に与える影響も変わってきます。

 

とにかく片付かないと実感するのは難しいですが、毎日10分でもいいのでまず片づけ
ることを習慣にするまでご自身に落とし込むといいでしょう。

 

不用品の処分と整理をして私が感じたこと

私は以前40㎡の部屋に住んでいました。もともと神経質で潔癖でしたが、入院したとき
に風呂場で血痕のような物?!を踏んだのではないかという思いか神経質はさらに拍車を
かけHIVノイローゼで3年ぐらい悩まされました。

 

退院後は保健所のHIV検査を受けて陰性でしたが、いろんな思考の嵐に襲われて部屋に持ち
込んだ物は本や食品のパッケージも消毒するような習慣ができました。

そのうち手に負えなくなり部屋の中のいろんな物に触れなくなりました。

 

当然どんどん部屋が散らかっていくのです。極度の潔癖になると自分が清潔だと考えてる
いる聖域以外(例えばベッドなど)は客観的に観てもどんどん不潔になっていきます。

 

でも、HIVノイローゼで悩むことが少し減ったあたりから不用品を処分すると決めました。
決めて6カ月ぐらい?かかったでしょうか?

 

服や本その他不用品をオークションやリサイクルショップなどで売ってきれいしていきま
した。

 

40㎡の部屋で段ボール50箱分ぐらいの物をリサイクルショップに送ったと思います。
そして、オークションでも50前後の衣料品を売ったと思います。

 

おまけに、HIVノイローゼでイライラが酷かったので賃貸住宅でありながら壁に穴を
開けたり、キッチンの扉を壊すなど破壊行動もあったのでこれらも修繕することもし
ました。

 

なので、6カ月では済まなかったかも知れません?!1年ぐらいかかったの
か記憶が定かでないのですが。

 

もちろん、これだけ気合を入れて片づけると部屋のスペースはどんどん増えてキレイになる
のが実感できます。

 

おまけにリサイクルショップとオークションで売ることで累計20万以上を手にすること
ができました。

 

時間はかかるのですが、少しづつでも積み重ねているとあるときから気分の変化も感じる
ことができるようになってきました。

 

ゴミ捨て場に重い物を持って何度も足を運び筋肉痛になることも多々ありました。
このような過程をクリアするまでが大変なのですが、これらをクリアすると部屋
がきれいになり気持ちもリセットできると感じています。

誰かにぶつかって転倒させたのではという不安と心配を軽減する心得!

あなたは見ず知らずの不特定多数の人に被害を与えてしまったという考えに囚われてませんか?

エレベーターや電車の乗降はもちろんショッピングセンターや買い物中のスーパーで
小さな子供やお年寄りなどの年配の人にぶつかってしまった………?

後々思いもよらないことで警察から突き出されるのではないか、という不安や心配に
苛まれることはありませんか?

 

転ばせたり、怪我をさせてしまったのではという風に思うことはないでしょうか?

あるいは自分の咳やくしゃみで何か悪い菌やウィルスを他人にうつしてしまったのでは
ないか?

 

極めつけは車を運転していて誰かを轢いてしまったのではないかということなどです。

 

いろんな不安や心配という感情に襲われますが、この記事ではこれらの感情を如何に
軽減して共存するかをまとめていきたいと思います。

 

ぶつかったのではないか?、と悩むのであればそれはぶつかっていない!

他人にぶつかって怪我をさせてしまったのではないかと悶々と悩んでいるならそれは
ぶつかっていないです。

 

それぐらい繊細であるならぶつかったらわかるはずですし、人一倍注意しているはずな
のでぶつかっていないとあなた自身も頭の片隅では思っていいるはずです。

 

しかし、過剰に反応してしまう性なのです。
それは神経質な気質がそうさせています。

 

安全性への意識や周りに対する配慮が強すぎるあまりにこのように感じてしまうのです。

 

あなたがもしぶつかったら、必死に謝っているはずです。
子供や年配の人が転んだら起こして介抱するはずです。

 

でも、ぶつかってないのに本当はぶつかったのではないか?、という考えに囚われて
しまい頭の中でそのときの映像を再現して確認したりして安心を得ようとしても自身
に不利なように考えるので堂々巡りになりますね。

 

そうやって安心を得ようと固執すると余計に悪いイメージが襲ってきませんか?
パッと対象者を振り返りぶつかってないという事実を見るように意識するのが大切
です。

 

パッと対象者を振り返ってほとんどの場合相手はこちらを見ていません。

見ていないのならぶつかってないとはずだというかすかな感覚とリンクさせて
ぶつかってないという事実を確認及び大丈夫であると強く認識する意識を持つ
ことが大切です。

 

稀に自分が振り返ると対象者も振り返ることもあるかも知れませんが、そういう場合
でももしぶつかっていたら何かお互いあるはずです。

相手があなたの感覚ではなくあなたの持ち物を見ていただけかも知れません。

 

 

満員電車や人の往来が多いところなら、あきらかに人と接触しても気に留めない人もい
るのも事実です。

でも、お互いぶつかって転倒したりすれば街ゆく周囲の誰かが、何かしらの対応をする
はずです。

 

満員電車やオフィス街の横断歩道などで大きな鞄などを持って歩いていて、鞄が相手の
身体に触れることもあるでしょう。逆も然りです。

その場合であっても大きな鞄だと当たる面積も大きいので両者とも当たったという感覚
がわかるはずです。

でも、シンプルに考えてあたりで何も起こってないのであれば、それは大丈夫というこ
で後々警察に呼び出されるという不安も心配もしなくていいのです。

 

このようなことひとつにも神経をすり減らすあなたです。
無意識のうち当たらないようにしているはです。

 

当たったとしても大した問題にはならないはずです。

 

先述したように、お互いぶつかってなくても意味もなく何気に振り向くということだって
あなたもありませんか?

 

なんとなくかすかな感覚でいいのでもう少し自分を信じてあげてください。

 

敢えてぶつかってみるのも繊細な感覚を鍛えるトレーニングになる

エレベーターや電車の乗降で敢えて他人にぶつかってみるということをしてみても研ぎ澄
まされた感覚を解放するにはいいトレーニングになると思います。

 

それも不特定多数の人に1日何回もぶつかるのです。そしてぶつかった感覚を感じながら
パッと振り返り対象者の顔を確認してみましょう。

 

もちろん神経質で繊細なあなたなら故意にぶつかるとしても、一般の人では気にも留めな
いぐらいのぶつかり方になるかも知れません。

そしてぶつかったという意識であなたの心臓はドキドキとすると思います。

 

でも、これがトレーニングであり少しづつ強くぶつかって行って、どの辺ぐらいになると
相手もこちらを振り向くかを肌感覚で掴めるようになるかを検証するのです。

場数を踏むことにより不安はだんだん減り、あとあと問題になるかも知れないというよう
な心配も軽減していくはずです。

やがて継続していくと、何も気にならいようなレベルまでに達し不安な感情は次第にラク
になってきます。

 

咳やくしゃみであっても敢えてマスクをせずにしてみることをするのもトレーニング
になるでしょう。

 

車の運転に関しては上記のような方法はできませんが、人のいないところや自分の
駐車スペースなどでバンパーを軽くこすらせたりするということをやってみるのは
いかかでしょうか?

意図的に軽くこすらせるのはなかな難しいですが、音がして傷がつきます。

 

愛車で愛着があるならバンパーの当たるところに伸縮性のあるゴムやサンドバッグ
のような弾力性のある物を置いて試すのもありだと思います。

車にキズがつかないような物に当ててみるのもひとつの方法だと思います。

 

私がエレベーターや電車の乗降時におけるのマナーで感じること

私は人にぶつかってしまったのではということで悩むことはあまりなく、むしろ
ぶつかってきて相手に腹を立てることが多いです。

 

あるときに乗車率70%ぐらいの電車に乗っていて座るところがなかったので乗降口付近
で立っていました。

 

ある駅で停車して、乗客の一人が私にぶつかってきました。
謝ることもしないので舌打ちをしてやりました。

 

相手は私の舌打ちに気づいたらしく、立ち止まり片手で手招きして小声で「降りろ…」
とおどおどしながら言ってきました。

 

もちろん相手にはせず睨みつけてやりましたが、相手は特に発車する電車に再度
乗ろうとはせず、扉が閉まり電車が出発するまで私を睨みつけていました。

 

もちろん私は、乗降口を塞いで乗降する人たちの邪魔をしているわけではありません。
邪魔にならないように扉付近のスペースを確保していました。

 

世の中には無神経でこういうマナーのない人間もいるのです。

 

いや、私の取ってる行動も褒められるものではないとうことは十二分に自覚して
いますが「こういうことをしてみたらどうですか?」と提案してるわけではあり
ません。

 

神経質気質であっても私はこういう局面に於いてはほぼ譲りません。
神経質で不安や心配が多くてもいろんな人がいるものです。

 

しかし、不思議なもので私の住むマンションでのエレベーターの乗降では気を使って
しまいます。

 

降りる人が先という頭があるのですが、乗っていた人が降りる前に私が先に乗り込ん
でしまったかということで不安になることが度々あります。

 

これを紐解くと同じマンションに住んでいて、フロアが違っても隣近所という感覚が
私の中にあるのでしょう。

 

何か被害が及ぶかも知れない?!という思考が働くようです。

 

偉そうに書いてきましたが、やはり私も事実に基づいて行動するのができないことの
表れでしょう。

 

自分の郵便受けに何かされるのでは、部屋に入られるのではという被害が及んだらと
不安や心配が強いのだと思います。

抽象的な不安や心配で悩むと頭が慢性疲労!具体的なことにフォーカス!

自然と入ってるくる視覚情報から様々なことに派生!!脳がフリーズしてしまうことはないでしょうか?

あなたは頭の中で勝手に浮かぶ抽象的な考えが嵐が襲ってくるかのように反応してしまい、
脳がフリーズしてしまうことはありませんか?

 

それはあなたの友達がその日に着ていた洋服の色だったり、デザインに反応してしてしま
うようなことです。

 

例えば、友達がアーガイルや格子柄の服を着ていたら自分が囚人になって刑務所で拘束を
受けているイメージが浮かび上がり、その考えから抜け出せずに一日中過ごして心身とも
にグタグタになってしまうようなことです。

 

身体も固くなるので、地面が格子柄に似たような模様であるならばそこを踏んでしまった
ら自分は刑務所に入ってるような気にさせられてしまう…

なので踏まないようにしてみたり、或いは敢えて左右で一緒に踏むことで格子を壊す
イメージを描き安心したり…

 

そのイヤな感情がどのように派生して何に反応してどうやって回避するかは人それぞれ
なのですが、いずれにしても生きづらいものですね。

 

当記事ではこのような状況に陥ったときの乗り切る方法をお伝えいたします。

 

抽象的なイヤな思考や感情をほじくり返しても結局のところ堂々巡りである

先述したようにイヤな思考や感情に囚われて生きづらさを感じていると、当然心身は疲れ
てしまいます。日常生活にも支障が出て来てしまいます。

それは抽象的に悩んでいる上に悩むこと自体に答えが出ない問題ばかりで
中身もないからです。

 

この段階でまずアタマの片隅に置いておいていただきたいことがあります。

勝手に思い浮かぶ抽象的な不安や心配に抗うと次々と思考や感情の嵐が襲ってきてしまう
ということです。これはあなたも既にわかっていることだと思います。
念のためにお伝えしました。

0.?秒と刻々と襲ってくる感情に抗ってるので疲れてしまい、結局どうすることもできない
のです。

 

そして、ヘトヘトに疲れると寝ますね。
寝て朝起きてもまた、同じことの繰り返しが日常生活に染み付いてしまいそれが習慣化
されてしまうのです。

 

人間1日の思考回数は平均的な人は6~7万回しているといわれていますが、私たちのよう
な繊細なタイプの人は恐らくこの2~3倍はイヤな思考に囚われてると思います。
人によっては5倍ぐらいの人もいるかも知れません。

 

人間は誰しもがネガティブな感情を感じやすいのですが、神経質な私たちは余計にその傾向
があります。当然その分不安や心配も普通の人より強い傾向があります。

 

なので、抗う気持ちは痛いほどわかるのですが、過剰に抗うと余計に思考が飛躍してしまい
疲れてしまうので、3回に1回でもいいので、「あぁ、今抗ってる!」などといって呼吸を
することにでも意識を向けてみてほしいのです。

 

色んな考えが次々と派生してしまうので悩もうと思えば一生悩める

 

神経質だとネガティブ思考や発送などが半端じゃないので一度ドツボに嵌ると1日中時間を
費やしてしまうこともよくあることだと思います。

 

ただ、これに嵌っていると一生悩むことができてしまいます。

 

自らの脳から発せられる感情や思いなどに支配されて生きていますので、それによって行動
が制約されて支障が出ている場合は、刑務所に入っていると言っても過言ではないでしょう。

 

先述のアーガイルや格子柄のデザインの例のように、この柄を刑務所と捉えてしまっていて
自分自身が刑務所の中に閉じこまれるのでは、という考えに執りつかれているならば気づけ
ば自分自身が今現在刑務所に入れられているようなものです。

抽象的に悩み不安と心配を増幅されて更に抗うので、
気づけば10年、20年と歳をとりあっという間に時間が過ぎてしまいます。

 

そして歳を取れば取るほどに抜け出すのは難しくなってしまいます。
あなたの人生どうしたいかもう一度よく考えてみていただきたいのです。

 

悩むこと自体に思考を回すと精神は不安定になる?!

何か物事を考えたりすることは建設的な営みです。勉強でも仕事でもやり方を工夫したり営業
成績を上げるために「頭を使う→考える」ということは健全です。

 

ただ、答えの出ないことに抽象的に悩むことが習慣化されていると精神も病んできてしまいま
すね。

最悪のことに感覚が麻痺していて悩んでること、気持ちが病んでいること自体に気づけないと
いうこともあるでしょう。

 

悩んでも何か不安や心配が解消されるワケでもなく、何の結果が出る訳でもないで具体性の
ないわかないことに悩むわけですからそれには慢性疲労が付きものです。

 

しかし、仕事で営業成績を上げたいとなると具体的な目的でありのが明白で、
「この顧客にはこういう風にプレゼンしよう!」と対策が打てるからです。

 

そして外れても「次はこうやってみようと!」とまた対策があるとトライ&エラーを
繰り返せばいずれ答えが出てきやすいからです。

 

なので、悩んで思考するのであれば自分の建設的な目標を挙げた上でそこに思考を使うと
いう意識を持つことが重要です。

 

それすらも出来ない場合は抽象的に悩みだすことを自覚的に気づくことです。
箇条書きでいいのでノートに悩んでいることを書き出すことで客観的に観れます。

夢の内容や夢の中で出てくる意味不明なワードを書き留めてしまう癖が出てきた私の日常

夢というのはいつも脈絡がないことが多くあべこべの世界ですね。
カオスとでもいうのでしょうか?

 

前後の繋がりや登場人物もたいていあべこべのなのです。出てくるワードを意味がわから
なかったりすることも多いものです。

 

あべこべながらたまに、夢の内容や出てきたワードを覚えていたりするので検索してみる
という癖があります。

 

例えば今日は山の名前?か何かの夢だと思うのですが、「ゼネラルランチ」という単語を
覚えていたので打ち込んでみたらオイスターバーの飲食店が複数出てきました。
意味不明なのです。

 

しかし、私の家の近くにはオイスターバーがあるのです。

 

もしかすると店の看板など無意識に見ていて勝手に出てきたのかも知れません?!

もしかしたら牡蠣が食べたいのかも知れません?!

ユングの提唱するシンクロニシティーというやつかも知れませんね?!

頭の中で回想したり確認すると不安や心配は余計増幅する!

頭の中での過剰なまでの回想や確認は逆の発想で止められるかもしれません?!

鍵の施錠、ガスの元栓、エアコン電源のスイッチの確認その他諸々家庭にはいろんな
トリガーとなる物がありますね。

あなたも頭の中で回想や確認を繰り返しても余計に不安や心配になるということも十二分
にわかってらっしゃるかと思います。

 

チェックリストを作りそれを見ながら確認してる方もいますね。

 

しかし、この確認作業をしてる最中に頭の中で様々な想念や観念がノイズとしてが発生
してしまうのも痛いところだと思います。

さらにこれらに反応するために確認作業がおざなりになってしまい、再度確認してまた
ノイズが出てきてまた確認ということがあると思います。

 

そして、何十回も確認を繰り返しているうちに疲れてきてしまいます。頭もぼんやりとし
てきて疲れてる状態で頭の中だけで回想と確認の作業をしてしまうこともあると思います。

 

有限の頭のメモリーを消費するので非常に疲れるのです。

 

だけどやっぱり本当に鍵が閉まってるいるのか確信を持てずにいると確認を繰り返して
しまいついにはエンドレスになってしまいます。

 

この記事では続けたくないけど続けざる得ない衝動をどう断ち切るかをご説明します。

 

不安という感情を持ちながらあと100回施錠確認をしなければいけないと声に出して言ってみる

何度も施錠確認しても安心どころか皮肉なことに確認すればするほど不安になってしまい
ます。記憶をたどってもその記憶に自信が持てなくなってしまいます。

 

鍵を閉めるという目的がいつの間にかメンタルの安定のためにするという目的に入れ替わ
ってしまい、さらに悪いことに逆にメンタルを悪化させてしまいます。

ひとつひとつの行動そのものがおざなりになり、更にその間にもさまざまな不安なノイズ
が頭を常によぎっている状態だからです。

 

ここで、過剰な確認などの悪癖を断ち切るのは容易なことではありません。

 

そこでこれを逆手にとって、そのままの状態であと「100回確認しなければいけない!」
と自分自身に声に出して言ってみましょう。

 

さらに、「確認ノート」などという物を作り正の字で回数を書き込むようにしてみ
ましょう。

 

あなたは100回やらなければいけないのです。これがあなたのノルマなのです。

100回をクリアしたら1000回へ挑戦してみましょう!
さらにこれもクリアしたら10000回へ挑戦してみましょう!

すごくメンドウだと思いませんか?
そう!すごくメンドウなのです!!
人間の心理を逆説的に使った方法です。

 

ゲームでもマンガでも、好きなことは好きなだけ時間をかけてでもやるものです。
子供が親に見つからないように夜中に音をミュートにしてゲームをする人もいる
ことでしょう。

 

しかし、ゲームを1日12時間しなければいけない、漫画を1日100冊読まな
ければいけないとなった時点でやる気が失せるものです。

 

なので、違和感を覚えて変な感覚に陥るかもしれませんが、こうやってやれば
いつの間にか問題のコアとなる部分がすり替わることもあります。

 

問題がすり替わるとメンドウ臭いという感情になると思います。
このような方法もあるということを頭で認識するとひとつ対処法が増えます。

経験が蓄積されるので、良からぬ観念や想念から疑念を植え付けられそうになった
ときこのときに「これは100回する」といって途中でうまく疑念をはぐらかして
かわすこともできようになると思います。

 

敢えて鍵の施錠確認を楽しんでみよう!

ハァ?!オマエは何をバカなことを言っているのか?というお叱りの声が聞こえてきそう
なのですが…

 

確認の渦中にいる本人にとっては必死な思いで問題を遂行しようとしているのです。
私もその渦中にいるときは自分でも見失いがちになります。
私だって未だにそういうことがあるのですから。

 

その上で前項のように「確認ノート」に正の字で回数を書き込むことを楽しんでみませんか?
楽しく鍵の確認をやってみましょう!

 

でも、楽しめないんですよ!!!!!イヤなことですから!!!!!

 

楽しくないしやりたくないことを無理矢理やるから、身体全身に力が入り肩も凝るしこめか
み辺りはピリピリしてくるし、足は踏ん張るから棒のようになるし、呼吸は浅くなるし…etc

 

じゃあ、もうなんか気分はスッキリしないけどそこまで確認しなくてもいいかと、少しでも
思えたらはぐらかしやすいと思います。

 

もちろんこのようにスムーズに楽しくやろうという逆説を使い更に、その行為をしないとい
う風にいくまでには思考のトレーニングなどは必要です。

 

最初は脳が誤作動を起こしているので、頭のなかでは不安や心配に関連するワードが次々
と嵐のように囁かれてしまうと思いますが。

そこに反応しても行動は繰り返さないというのが、気づいていたらできていたら理想です。

 

不安や心配を消すために心の平安のためにやってることは、皮肉ですが自分を痛みつけて
いるのです。あなた自身もっと大切してあげてください。

 

私がトイレの便座の消毒の回数を減らすまでの道のり

潔癖でもある私はトイレの便座は物心つくころから共有することができませんでした。

 

便座には強いこだわりがあり、未だに家に荷物を届けに来た運送会社のドライバーに
対してもどういう訳か玄関のドアを開ける度にトイレを使われたのではないかという
不安な感情に襲われることが多いです。

 

サインをして荷物を受け取りドアを閉めて鍵を閉めて、内側からガチャガチャと確認
してもそのあと便座を消毒してしまうことは今でもあります。

 

しかし、確実に回数を減らすことができています!

 

それはとにかくトイレで特に神経の使う便座を掃除しているときにイヤ思考に襲われる
と同じ箇所を何回も掃除していましたが、今はせいぜい多くても3回です。

 

2回目辺りから意識的に

「私はこの便座のこの箇所をトイレ用掃除シートにアルコールを噴霧して
1枚で10往復して使いそれを10回しなければいけない」

などと唱えるようになってからです。

 

もちろんこの方法は万能ではなく、一進一退どころではなく一進三退ということも
ありました。

この呪文をトイレに貼り発声することで時間はかかりましたが、大分マシなったと
思っています。

 

あなたの抱えてる問題のどのようなことに上手く作用するかは未知数ですが、少しでも
やってみようとお思いであれば2~3カ月ぐらい気長に続けていただければと思います。

一進三退してもめげずに続けることが重要です。そして少しでも自分自身を認めて
ちょっとでも進んでいたら褒めることも大切です。

ノートに記録をつけて成功回数が増えてくると、それは自信にもつながります。

 

人によっては6カ月ぐらいかかる人もいると思います。
でも諦めないことです。

イヤな考えに振り回され、それに付き合うと記憶力の低下を招く!?

勝手に思い浮かぶイヤな観念や想念に反応すると過剰な確認行動などが増えませんか?

あなたは頭の中で勝手に繰り広げられる思いや感情に抗うことで自分は頭が悪いのか?、
悪くなったのか?と思い悩むことはないでしょうか?
頭がぼんやりして記憶力が悪くなるような感覚です。

 

私も昔はそう思っていました。
今でもそう思うことはありますが、昔よりはマシです。

 

マイルールによる手順や確認に時間がかかるため、どうしても時間がかかりやすい傾向
にあるのが神経質気質の人たちだと思います。

そして同じ行動を繰り返すことで記憶力が悪くなった感じることも多あります。

 

あなたもそう感じて日々過ごしていて、同じ行動をするあまり記憶力が低下したと
感じていたらそうならないための対策をお伝えします。

端的に言うと、同じ行動を繰り返すから余計に記憶力が低下したと錯覚するのです。
これにつていも取り上げていきたいと思います。

 

ひとつひとつの物事を抽象的な対象としてとらえていたら記憶力や思考力は鈍って当然!

 

例えば、カギを閉める営み(物事)の手順を細分化すると

①鍵を鍵穴に入れる

②鍵を回す

③鍵を抜く

④ドアノブを必ず5回引っ張って確認する

⑤鍵を鞄にしまったかを3回確認する

 

というのがマイルールだとすると、この過程を頑なに毎回同じ手順で繰り返します。

ところが、①~⑤の過程の途中でどこかで手順が狂ったり、少しでも思考が飛んだり
するとそのことに思考のリソースが搾取されたりして起こります。

例えば、ある車のナンバープレートを観て意味もなく頭から離れず回想し続けるといよう
なことです。

自分自身全く意図せずにナンバープレートとその時の自分の心を掛け合わせて抽象的に捉
えてしまうようなことです。

こんなことしていたら記憶力、思考力、集中力、判断力は鈍って当然です!!

 

鍵の施錠①~⑤の手順は自覚的に意識してできない神経質の人にとっては、手順が多く
その過程で思考があちこちに飛ぶのでどんどん複雑になってしまいます。

このため途中で「この手順で本当にいいのか?」という疑念を植え付けられるとやり直
しになり、当たり前ですが時間も余計にかかってしまいますね。

 

また、マイルールは人によって全く違うため例で挙げた手順が更に増えている人も珍しく
ないです。

 

一方で鍵の施錠に於いてがこの細分化されてるのもが最後の⑤だけだったらどう
でしょうか?

 

そして、施錠途中でイヤな思考が浮かび上がっても反応せずに⑤だけの確認のみを
行えたらどうでしょうか?

 

マイルールという概念が存在しないので、⑤の鍵を鞄にしまった、ということだけ確認
するので消耗するエネルギーは1/5になりますね。これが一般の人達なのです。

 

エネルギーどころか、鍵の施錠を恐らく感覚的にやってるのでエネルギーも消耗してない
と思いますが。

 

イヤな考えなどが思い浮かん、それに反応して深堀するとどんどんおかしな方向に向かっ
てしまいます。一瞬浮かぶイヤな観念や想念は気持ちが悪くてもそのままの状態にしてさ
っさとその場所から立ち去ることが受容です。

不安かも知れませんが、同じ行動をすると更らに不安は増幅します。
これは身体に刻んだいただきたいです。

 

そして自信はなくなり、記憶力、思考力、集中力、判断力は鈍るように感じるのです。

 

反応してイヤな感情を打ち消そうとしても、余計ひどくなるだけで精神の安定には全くつ
ながらのです。

鍵が閉めるという目的を持ち、閉まったという事実確認をする意識を持つことです。

 

感情に反応すると自己肯定感も低くなる

イヤな感情に反応して打ち消そうとするとエネルギーの消耗と時間の浪費により
「自分はなんてダメなヤツなんだ!」と卑下してしまう傾向も強くなるでしょう。

常にこういう状態になると自己肯定感が低くなります。これは簡単にいうと自分自身を
過小評価してしまうのです。

 

気づけば

「わたしなんかどうせ」
「そんなの無理に決まってる」

などというのが口癖になり潜在意識擦り込んしまうので生きづらくなってしまいます。

 

反省するのは大事ですが、度が過ぎると結果的に自分を責めてしまうことになります。
自分を大切にしていただきたいです。

そして、ちょっとのことでも自分を褒めてあげましょう。

鍵の確認が昨日より1回でも減ったら前進してると考えて、ご褒美にケーキやパフェを
食べるなどでもいいでしょう。

 

ips細胞の山中伸弥教授の研修医時代の本を読んで感じること

ips細胞の山中伸弥教授は昔研修医の時は自身がラグビーをやっていたこともあったそう
です。

そのためか体育会系の整形外科医を目指したのかも知れませんが。

 

しかし、犬やマウスの練習と違い人間相手の手術とでは緊張度がまったく変わりうまく
できなかったようです。

 

うまい人が20分でする手術でも、山中教授は2時間かかったこともあったようです。
このようなこともあり指導医からは「ジャマナカ」というあだ名をつけられたそうです。

 

邪魔なヤツという侮辱と嘲笑の意味を込められたのでしょう。

 

私はこれを読んで人間相手の手術のときには過度に緊張するあまりに様々なイヤな感情や
思考に呑まれて支配されてしまったと推察します。

 

だから2時間もかかって手術をしていたのでしょう。恐らく山中教授は手術のときにのみ
様々なネガティブの感情に左右されていたのだと思います。

 

山中信弥教授と当記事を読まれてる方に失礼や誤解のなきように書いておきますが、当記
事のタイトルと山中信弥教授は全く関係ありません。

山中教授の行き詰っていた時代の精神性と私を含め当記事を読まれて行き詰っている方の
精神性で共通する点があると思い感想を少し書かせていただきました。

 

私が自動車学校で受けた際の適性検査について思うこと

自動車の教習所では座学と実技の講義を受けますね。もう20年前の話なので今どういう
カリキュラムになっているかわかりませんが。

 

ここで適性検査というものがありました。正確には覚えてないのですが、
私は担当教官に判断力の鈍さとスピード?などのスコアが低い指摘されました。

 

今思えばこの頃の私も生きづらさを感じていたので、というか物心ついてからなのですが。

 

やはりマイルールや強いこだわり、手順などを丁寧に遂行するという気持ちが高いせいか
ある部分で低いスコアが出たのだと思われます。

 

記憶力もそうですが、それに伴い集中力と判断力などが低かったのかも知れません?!

 

こういう面においてもいかにして深堀しない、反応しないようにするのかがポイントです。
気持ちの切り替えもスムーズに行うことの可否も「反応しない」ということにかかってい
ると感じます。

 

いや正確に言えば「反応しない」のではなく如何に感情が「反応」してもそれに付き合わ
ないということです。

つまり「繰り返し行動に反応しない」それに付き合い始めたら自分の頬を自分でビンタを
して「反応」しながらも今すべきことに意識を向けてるということが望ましいと思います。