他者との対話による囚われを誘発する思考から派生する感覚過敏

あなたは人といることに苦痛や疲労を感じて困っていませんか?

人といると疲れる話した後はグッタリするということはないでしょうか?
私はいつもグタグタになるので、積極的にはあまり人と関わらないように
しているのですが…

 

話してるときはまだいいのですがその後に疲れがどっときてしまいます。

 

特に他人に良くみられるようと頑張ってるわけでもなく、良く見せようと思って話して
るわけでもないのに疲れてしまいます。

 

それは顕著に日常のルーティンにも弊害が出ます。

 

例えば、その日の夜はシャワーを浴びる時間が長くなったり、歯磨きをする時間が長くな
る、その他日常の無思考でできる営みに余計時間がかかってしまいこれもまたストレスに
なります。

 

私も今だに自分にあった良い対処法というのは試行錯誤している段階ですが私なりの見解
や囚われないようにする考え方をまとめていきます。

勝手に浮かぶ囚われを誘発する思考と感覚過敏はセットで考えよう!

あなたもご存じだと思いますが、神経質の人が陥りやすい思考について簡単に触れること
にします。

 

それは、意図せず次から次に浮かぶ考えや映像や音だったりや不謹慎な考えだったり多種
多様に湧き上がり頭から離れなくなり悩まさせるような思考や観念または想念などです。

 

これらの思考は普通の人でも起きてる間に1日に5万もの意図せず思い浮かぶ思考がある
と言われているようです。

 

しかし、多くの人は特にこの種の思考に囚われることなく日常生活をおくることができる
のですが、神経質気質の人はなかなかうまくいきませんね。

 

神経質気質の人の場合、こららの思考はダイレクトに不安や不快なイメージを誘発してし
まいそれに伴いこれらが強くなればなるほど感覚過敏に悩まされるような気がします。

 

例えば手が届く範囲のところに嫌悪感を感じる雑巾があったとします。

 

観念に囚われてときは五感を正常に使えていなと思うので、雑巾に手に触れたと思い込んで
しまい思考が感覚過敏のような状態を作っていると思うのです。

 

思考が駆け巡ってる時点で脳は平常時と違い騙されてる可能性が非常に高いです。
なぜなら本当は雑巾に触れた、触れないはもっとシンプルに判断できるはずだか
らです。

 

先述した五感ですね。なのですごく難しいのですが、感覚過敏で同じ考えに囚われているな
と感じたら、一度深呼吸するなりして五感に意識を向けてるクセをつけることが大事だと思
います。

 

一日5万回もある勝手に思い浮かぶ思考はなぜ多くの人はやり過ごせるのか?

 

思考があること自体は異常ではないのですが、なぜ神経質気質の人は過剰に反応してしまい
囚われてしまうのか…

 

もともと持った気質や遺伝と言ってしまえばそれまでなのですが、一般的には神経伝達物資
(ホルモン)であるセロトニンの不足と言われています。

 

しかし、これもまだ仮説段階なのでハッキリしたことがわかっていないようです。

 

じゃあ一体何なのか?

憶測ですが、同じ観念だとしても人それぞれ感じ方が違うのは情報の取捨選択ができないの
ではないかと思います。

 

例えば、

 

歯を磨こうと洗面所に行き、歯ブラシに歯磨きペーストを取ったときにその日の昼に友人と
旅行の話をしていて昼にイメージした風景が浮かび上がったまではいいのですが。

その昼にイメージした風景に派生して他の映像や周りに居た関係のない他人の話の内容や
その人たちの顔特徴などが浮かんしまうようなときです。

 

そして、それが頭から離れなくなってしまってそこから何かまた別の思考が入り込み
頭が混乱してきてしまうような状況です。

 

本当は歯を磨くという営みだけを行えればいいのですが、歯を磨くという営みを妨害するよう
な思考が入り込んでしまい、またそれを阻止する機能がないのでそこに囚われてしまい歯磨き
に時間がかかりすぎてしまったり、物事が散漫になるのと考えます。

 

やはりこのように目的の営みをするために、気持ちの切り替えを瞬時にできないのは脳の構造
が少し違うように思います。

 

思考を思考で丸めこめば暴走は止められなくなるのはなぜ?

思考に限らず勝手に思い浮かぶ不快な感情やイメージをコントロールしようとすればするほど
囚われてしまうのは、嫌な感情であっても自然発生的に浮かぶものだからです。

なのでこれを無理矢理打ち消そうとすると余計苦しめられる事になります。

 

自然に湧き出てくる不快な感情は何か新しいアクションを起こすときは特につきものだと思い
ますが、一種の自己防衛的な反応だと思います。

 

自己防衛が働いて思ってもない不快な感情やイメージが繰り返される度に、抗って打ち消そう
とすると自己防衛の準備がなされれることがないままの状態で放置されるので潜在的に不快な
感覚が暴走するだと思います。

 

自分でも何を書いてるのかわかならくなってきますが、とにかくひとまずそのままにして放っ
ておく、その感覚をそのまま感じてやり過ごすというのも場合によってはいいのかも知れませ
ん。

 

私は人との関係でグッタリと疲れたら日々の営みが疎かになったときはとりあえずそのまま過ごす

先述したように他者との関係で起こる疲れにより、シャワーや歯磨きなどの営みの時間が長く
なることに関してですが、そういう日があってもいいと考えることも大切だと思います。

 

シャワーや歯磨きに時間がかかりすぎてしまう自分はなんてダメなんだと、決して責めない
ことです。

 

自分を責めるような考えを持っていると自分を責めることにつながります。

 

先述しましたが、抗えば抗うほどこの威力は強力になってくるので扱わず放って置くという
ことも時には必要ではないかと思うのです。

 

自分を責めると「〇〇すべきだ」や「〇〇しなければいけない」というような風になり自分
の首を絞めて負のスパイラルに陥ってしまうことないですか?

このように負のスパイラルにどんどん陥る可能性があります。

 

そういう意味でももっと自分を大切にしてみてください。