他人軸で生きてませんか?「すべきだ!」ではなく自分はどうしたいか?

他人軸に流されて生きてモヤモヤと嫌気をさしてませんか?

あなたは何かにつけて人と比較したり、されたりして育ったという経験はないでしょうか?

 

今10代でこの文章を読まれている方は、まだ毒されてないかもしれませんが。
これから先の教育も昔よりは個人の考えが多少なりとも尊重されると思うので
支障が出にくい世代であると思います。

 

10代の方は何か学校教育や親御さんの教育方針で悩まれてる方のみお読みいただけれ何か
ヒントになると思います。

 

問題の20代、30代以降の方は洗脳という教育で自分の個性をことごとく潰されてきた世代
だと思われます。かくいう私もその一人です。

 

その潰された結果として本当は自分がどうしたいかなんてわからないと思います。
いやそれが当然なはずです。

 

あなたも、「こうしなければいけない!」、「こうあるべきだ!」と自分の意志に反して思って
いるのなら一度それは捨てることです。

しかし、自分の意志に反してることになかなか気づきにくい場合もあるでしょう。
こういうときでも感覚的にモヤモヤしてることがあるはずです。

 

あなたの「普通」とあなたの友達の「普通」の基準はまったく違うので他人に無理に合わせる
ことなく、モヤモヤなど違和感を少しでも感じるのであれば友達と何が違うのか自分でしっか
り意識して見極めることが必要です。

 

他人軸で生きているとこういう、ひとつひとつのことが自分自身を苦しめていてさらにそれに
気づきにくくなってしまいます。

なので一度世の中で言われている常識や社会通念というのを疑ってみるのが解決の糸口だった
りします。

 

まして私たちは神経質タイプで特にこだわりの強いタイプの場合以外は、日本の古い画一的な
教育にある局面では流されてしまうこともあるからです。

 

皆がこうだから迎合しなければいけないと思っていて、それに息苦しさを感じて
いて、それすら気づけてないという場合はこの記事にたどりつくことも難しいと
思います。

ただ、この時点で気づけているので、現状他人軸で生きていてもすぐに修正できるでしょう。

 

「べき思考」「しなければいけない」という類のことで少しでも負担に感じている場合には
気づきを深めるチャンスだと思います。

このようなことで悩んでいる場合に少しでも生きやすくなる方法をお伝えします。

 

また補足ですが、

 

当サイトでも何かを例える際に「普通」というのはよく出て来ていますが、誤解なき
ようにここで補足しておきます。ここで出てくる「普通」というのは何でもかんでも
人に迎合するという意味ではありません。

 

神経質で生きづらい気質があるが故に、カギの施錠確認で30分かかるなどで日常生活
に支障が出てるときに「普通」はこんなに確認するだろうか?という意味合いの事です。
社会通念上の問題はまったく関係ありません。

 

他人になんてあわせる必要はない!無理に迎合するから歪みがでる!

日本の画一的な学校教育によって自分の個性や価値観などはつぶされてきた世代では
洗脳によって潜在意識に強く刷り込まれてしまっています。

「良い学校を卒業」
    ↓
「良い会社に就職」
    ↓
「結婚して家庭を築く」
    ↓
「家を建てる」

このような例がもっともわかりやすいと思います。

これを万人に当てはめて生きていると歪みが出てしまいます。もちろんこの生き方に合っ
ていて幸せを感じている人はもいるでしょう。

自分の気持ちをなおざりにして教育や社会のテンプレート的な生き方をしていると何かしら
の弊害が出てくるは当然です。
神経質の人は特に不調で悩まされると思います。

本当に先に挙げたような生き方があなたにとって合っていて幸せを感じられるか?
考えてみて頂きたいです。

潜在意識に刷り込まれてるので、洗脳を解くのは時間もかかり大変ですが

「why」
  
「why」
  
「why」

と自分自身に問いかけるのを習慣にしていただければ、ぼんやりと霞んでいた蜃気楼の
ような物がだんだんクリアになってくると思います。

 

自分の個性、価値観を出して生きてい行く方がストレスが少ないので生きやすくなるはず
です。ストレスが少ないとメンタル的にも悪い影響を大幅に減らすことができます。

確認壁だったり洗浄や消毒行為も安定してると、これらに囚われずにすべきことに注力しや
すいはずです。

 

ただ、もちろん組織で社会経済活動をしていると迎合することもあります。
極端に言えば法律などです。

私たちは人間社会で生きています。人間社会は複雑なので何か最低限の縛りを課さなければ
いけないので法律は守るということです。

 

自分自身がよりよく生きるためには最低限イヤなことでもやらなければいけないこともある

前項では他人に迎合したりせず自分らしく生きた方がいいということをお伝えしました。
しかし、私の言ってるのはなんでもかんでもやりたい放題すればいいという意味ではあ
りません。

 

あなたが目標を達成させるために、やりたくないこともやらなければいけない時期もある
はずです。

 

あなたが一流の板前さんなることに憧れ、自分の店を持ち料理を提供することで幸せを
感じられると思ったら、どこかの料亭に弟子入りして親方の元で皿洗いなどから長い下
積みというのは必要でしょう。

 

これが、よりよく生きるための最低限のベースになるものでしょう。
ただこれは自分の目的を達成するための営みです。成長するための良い苦労です。
決して他人軸ではなく自分軸です。

 

辛いけどどこかの組織で食べて行くためだけに、押し付けられてううだつがあがらない
まま仕事をして過ごすよりも生きやすいと思います。

 

少なくても、「おいしくつくるべきだ!」や「おいしくなければいけない!」なんて
考えて板前さんになる人はいないでしょう!

目の前のお客さんを喜ばせるためには他人軸という見方もできますが、これは意味
が変わってきます。

 

トヨタ自動車のニュースを見て私が感じた事

トヨタ自動車は「なぜなぜ分析」というのを取り入れて日々の仕事をしているというのは
有名な話ですが…

 

やはり「why」と疑問を持ちそれを掘り下げて行くことは本質を読み取りやすくなると思
っています。

 

だから、私は「why」と習慣を持った方がいいと思っているます。トヨタ自動車がどういう
意図で「なぜなぜ分析」を導入しているかはわかりませんが。

 

しかし、このような生産方式を採用していても数の中には如何にサボろうという社員はいる
ようです。当たり前ですよね。だって食べるために就職するとそうなって当然です。

 

そして、トヨタ自動車のような大企業になればなるほどそういう人も多くなるはずです。
豊田章男社長は終身雇用は難しいと言っています。(2019年の記事)

 

この記事を見て画一的な教育も原因のひとつではないかという風に感じました。

 

また、この記事を書いている2020/6/16は新型コロナウイルスによる政府の緊急事態宣言が解除
されていて多くの企業が四苦八苦している最中です。

 

人々の働き方もテレワーク導入などで大きく変わってきています。画一的な教育で素早く変化
に対応できずにいると露頭に迷うことにもなりかねないわけです。

 

なので、「why」を日々意識して生きていくことは重要だと思っています。