徹底したマイルールを遂行しなければ不安で仕方がないことはないですか?
あなたはいつも規則性や自分の決めたマイルールなどを求めてしまうってことはないで
しょうか?
日常でルーティン化している歯磨きや洗顔、シャンプーの手順、電車の座る席、飲食店
でのいつも座る席など…
とにかくこだわりが強いせいかいろんなことを自分自身に、課し手順通りにしないと気持
ち悪いという神経質な特性を持ち合わせていると生きづらいですね。
日常生活でも不都合が生じてしまいかねませんね。
いや、もう既に生きづらくなってるいるかも知れません!?
自分に課したノルマのような観念が、自分を無意識のうちに縛っていてマイルールの通りに
いかないと、何か悪いことが起こるなどと考えてしまったりすることもあるかも知れません。
このようなイヤな習慣や負のスパイラルに陥ったときのやり過ごす方法をまとめていきます。
真面目で責任感が強く几帳面な性格が悪く働くと出てしまう!!
なんでもきっちりと物事をこなそうとして、尚且つ完璧主義的な傾向があるとこのような
スパイラルに陥ってしまいます。
なぜか?
原因ははっきりしていませんが、幼少期から育ってきた環境だったり、親が厳しい、
産まれながらの性格がこのようにさせていると考えられています。
マイルールに乗った手順でやらないと気持ちが悪く、もしそれから逸脱してしまうと納得の
いくところまで戻ってその手順でやるのは、何か悪いことが起こるかも知れないという風に
脳が思わされてしまうからです。
神経質で繊細なので可能な限り日常におけるリスクを徹底して下げるためにこのよう
なことを行ってしまうと思います。
一種のゲン担ぎのようなものです。
しかし一般の人の行うゲン担ぎとは違うのです。
神経質で未来への不安や心配を抱えて生きてる人は、何か自身が思っている悪いことが起こら
ないように、イヤな感情に抗いその感情を消すために行うゲン担ぎです。
というよりは儀式でしょう。
客観的な問題ではなく主観的な問題!繰り返しの作業や確認を怠らない方が気持ち的にラクだから続ける脳!
マイルールを作り何度も何度も納得がいかなければ同じことを繰り返すということないですか?
日々の日常の家事仕事でも一度イヤな考えに襲われると、それを打ち消そうと躍起になって
時間とエネルギーを消耗してしまうことないでしょうか?
例えば、
洗濯物を干すときに自身が意図する順番で規則正しい干せてるはずなのに、干してる最中に
自身の気持ちが乱れてしまい、その乱れたことにより規則性が崩壊したというような気分に
陥る場合です。
気持ちが乱れると自分が思う悪いことが起こるのではないかという不安に派生します。
そして自分の心を整えて規則正しく干し直すのですが、心が少しでも乱れるとまた最初から
始めて途中で止めたくても止められないという蟻地獄のような状態です。
自分自身が安心という感情を少しでも持つために何度も繰り返すのです。
少しでも安心できれば気持ちはラクになります。
しかし、肉体的には疲れるのは事実です。でも気持ちの面で安心できないと不安な
ので第三者から観るとおかしいと思われることもやり続けてしまうのです。
また、安心できるのも束の間です。すぐにまた他の強烈な不安に苛まれるのです。
もちろん、本人も脳の別な部分では自分はおかしいと悩んでいることが多くあり
ます。
これが自分に自信がない、自己肯定感を失ったりしやすく拍車をかけけて更に
エスカレートしていきます。
負のスパイラルに陥ってしまい、やがて気分的にスッキリしなくても肉体的な疲労
から自分自身が満足せずに一種の行動は一旦は終わりますが、原則的にエンドレス
です。
ストレスが強いと疲労に勝って繰り返しや確認を何度もしてしまうのはなぜ?
ストレスがかかっているという状態は、闘争ホルモンアドレナリンが分泌している
からと言えばわかりやすかも知れません。
このような常態では自分の防御反応も強く出ると考えられるので、繰り返しや確認
などの行為を何度もしてしまうことが多いと思います。
そして、こういう状態のときは以外にもそこに集中しているので疲れているはずな
のに何度も同じことがループして続けてしまいます。
例えば、
潜在的に不安があるためか、細部にこだわってしまい洗ったグラスを1mm単位で
左右対称に規則正しく置くなどこのようなことを徹底してしまいます。
限界が来るまで過剰な行動を繰り返していることでしょう!
限界が来ると魂が抜けたかのように何もできなくなりその場に横になってしまったり
することもあるかも知れません。
格闘技に例えればボクシングなどでも同じようなことが言えると思います。
試合をしている最中そこで勝負をしてる人達は殴られても痛みを感じてい
ないことが多いです。
私はキックボクシングをしていますが、リングで集中しているときは痛いというの
がほとんどなく、終わった後痛いと思うことが非常に多いのです。
私はプロではないですが、プロの人を観てると限界まで戦い続けますが、限界を
過ぎたときにリングの上で倒れます。しばらく意識がなく担架でリングから担ぎ
出される人もいます。
さまざまな些細なことにフワフワと浮遊していた幼少期
私も規則性を求めたり、同じ手順でやらないと気が済まないというのが幼少期
からあったので生きづらさを常々感じていました。
もちろん神経質なので今でも根本的な部分は変わりません。
年齢に応じて反応するものの対象が変わっているだけです。
年齢とともに、知識は増える物なので反応する対象も変わるのは当然と言えば
当然なのですが。
ただ年齢と共に乗りこなし方もそれなりに学んだつもりです。
私が小学校の頃の通学、下校時に通る道にはモザイク模様のタイルがあったの
です。私はそこを踏むときにかなり細かいモザイク彫刻を踏む際の自分なりの
マイルールがありました。
ここの横10列目、縦10列目の角に左足から踏み込み、右足で踵で踏んで
このモザイクタイルを通るという規則性を徹底していました。
通学時は朝の朝礼などもあるので、横10、縦10と数えてると時間が足りなく
るので焦っていたのですが、その焦りが拍車をかけてホントに10の10なのか
と不安になり学校に遅刻することも多かったです。
そこで、あるとき横断歩道を塗装してる業者の人を見て、このタイルに印として
ペンキを塗ればいいと思いペンキを塗ることにしました。
しかし、周りの目が気になってなかなかペンキを塗ることができませんでした。
ですが、花火大会という学校行事があり人目のつかない夕方に塗るチャンスが
めぐって何とか塗ることができました。
考えてみればやはりこの頃から何かこのタイルの踏み方ひとつに於いても規則
的に踏むことで安心を得ようとしていたのだと思います。
そうしないと何か悪いことが起こるかもしれないという考えがあったので、
非常に生きづらい幼少期を過ごしてきたと思います。
あえて自分自身にイヤなノルマを課せて乗り切れるものもある!
前述の私のモザイクタイルの例ですが、どうしてもタイルが気になって頭から
離れない私は中学に入学しときに、敢えて今までとは違うことをしていました。
それは、小学校も中学校も通学、下校にこのタイルを通るのですが、小学校の
ときは家から学校が近いのでクラスの人と登下校するということがほぼ皆無だ
ったのです。
しかし、中学校は徒歩20分くらいかかるのところだったのでクラスメイトと
同じ道で会い登下校することも増えていきました。
1人のときは人目を気にしなくていいので、タイルの踏み方にこだわりがあり
ましたが、他者といるとなかなか露骨にすると変に思われので、一人のときと
は同じような行動がとれなくなったのです。
もちろんマイルールに乗った踏み方をしないと気持ちが悪いのですが、
気持ち悪いをそのままにしているとやがて時間の経過とともに軽減し
ていくのを少し感じました。
もちろん、一人のときは小学校時代と同じような踏み方をしていましたが、
クラスメイトがいる場合はこのノルマ、つまり「タイルを規則的踏まない」
を課してやり過ごしました。
通常何かを目標を達成するためには努力や苦労を強いられます。
それは目標達成の能動的な営みになります。
しかし、神経質の人が抱えるある種の抽象的すぎる不安や心配などから来る
繰り返し行為などをやり過ごすには能動的に行ってはいけないのです。
不安や心配を抗うためにする行動を抑止することが努力や苦労になるのです。
これは私なりにイヤなノルマでも状況などの条件があれば乗り切れることも
あると学んだことです。