病気ではないのか?という不安や心配と共存する心得!!

常に自分が何か悪い病気に侵されてるのではとの不安や心配はありませんか?

あなたは今何かどこかが調子が悪くて、その度にもしかしたら「がん」なのではないのか?
、というような観念や想念に襲われて押し潰されそうになっていませんか?

 

いつも疲れやすいのは何か悪い病気にかかってるのではないか?
片頭痛がするのは脳腫瘍なのではないか?

 

そして、今取り敢えず健康に生きてるけどこれから先病気になって今より苦労する
のではないか?

 

こんな不安や心配を感じて日々辛い思いをして生きているのでしたら、少しでも生きやすく
する方法をご紹介いたします。

ビクビクしながら生きるしかない!自分を守ってくれるのは自分だけ!

「自分でなんとかしろ!」となんとも冷淡なように聞こえるかも知れませんが、実際誰も
助けてくれないのです。

 

結局この種の不安や心配などの感情は仲のいい友達、親や兄弟姉妹などに相談しても
自分自身を信じて鼓舞していくしか方法はないと今のところ思っています。

 

ただ、この種の感情の付き合い方としては絶対に抗って潰そうとしないことが鉄則だと
思います。

 

これの種の感情も感情です。自然に不安に思うわけですからそれを潰そうとしても
かえって増幅します。

何が問題かと言うと、自然と浮かびあがる感情を自分の意志で心の安定のために一時的に
対処しても、それをしてる限り一時的な不安を取り除けてもすぐに同じ種の感情が出てき
ます。

 

それは、例えばテレビをつけてたまたま飛び込んで来た字幕が「最前線のがんの治療特集」
などという字幕が入ってきたら恐怖で自分や家族などを投影してしまうでしょう。

 

その不安をすぐに対処しようと、躍起になってると手洗いの回数が増えたり鍵の施錠
確認に時間がかかったりという行動に替わってしまうです。

同じことを何度もすると頭はぼんやりしてきて、にっちもさっちも行かなくなり疲労で
行動が止まるというのがオチではないでしょうか?

 

なので一時的に対処しようとして躍起になっても、次々といろんな感情が派生して疲れて
行動が抑制されるけど、気持ちの面ではエンドレスなのです。

 

先述のように、この真っ向から感情を潰すという行為がカギの過度の施錠確認や手洗い
だったりまたは頭の中だけで行う手順の確認だったり、イヤな感情のあとには他の感情
やイメージなどを使って不安を上書きしようとする行為にあたるでしょう。

 

同じ絵を見て間違いはいくつありますか?という「間違い探し」「幾何学模様」などを
ずっと見続けるとよくわからなくなるものです。

 

前者はシンプルで具体的なことなのですが、躍起になって間違いを探そうとするとどうも
抽象的に観てしまうのでしょう?!で物事の本質をわかならくなってきてしまうのだと思
います。

 

後者は見方や角度によって全く違った物が見えます。それは数字の中に動物が隠れていた
りと見方や角度を変えなければわからいことがあります。

 

これは具体的と抽象的な見方を切り替えながらするのでこれを意識していればある程度見
れるのですが。このようなことから頭をぼんやりさせて錯覚を起こしやすいのだと思います。

 

普通の人が「間違い探し」をすると

「ん?わかんない!疲れる、もういいや!またにしよう!」
と普通の人でもなるものです。

 

しかし、普通の人はこれ以上考えるたりするとキャパオーバーになると潜在的に
理解してるのだと思います。疲れたら休むというのができるようです。

 

一方で神経過敏な私たちは普通の人が気づかない、気にしない、気にも留めないこと
に敏感に反応して思考が過剰に働いてしまう傾向があるでしょう。
これでは慢性疲労に悩まされるのも当然です。

 

この「間違い探し」の例のように抽象的に働きすぎた思考に心の安定を求めようとする
ことが的を射てないのです。

 

柳の木のように流されながら、今すべきことに意識を向けてみるのもひとつの方法

柳の木というのは垂れ下がりダラっとしていて、力が抜けていていつも自然体な感じで存
在している雰囲気がありますね。いつも怪談話や幽霊と一緒に存在するようなイラストに
出てきますが。

 

この柳の木というのは人間でいえばあちこちに無駄な力が入っていない自然体の姿だと
私は思うのです。

 

無駄な力が入らないから、風が吹けばその流れに抗うことなくふんわりと流されるけど
枝の部分で台風などでも折れてることってあまりないと思います。
逆に幹の太い頑丈な木などはポッキリと折れてることがよくありますね。

 

力を分散できるから折れずに存在できるのだと思います。人間でもいつもカチカチに
肩に力が入っている人よりもダラっとした人の方がなんとなくうまく行ってるように
見えませんか?

 

不安や心配という感情も柳の木のように共存するというスタンスで一度そのまま呑まれて、
そこからすべきことに意識を向ける方がうまくいく場合もあります。

 

今私は共存ということばを書いて、個人的にイヤな気分を誘発したのですが。

 

現在と未来への不安と心配が襲ってきたら「妄想もうよそう!」

前項では不安や心配を柳の木のように感じながらすべきことに意識を向けるということも
方法のひとつとしてお伝えしました。

 

ここでは、一度イヤな感情にや被害的な妄想に呑み込まれた状態のまま、自分自身がどの
ような生き方をしたいかを5秒からでもいいのでイメージする方法です。

 

この方法もイヤな感情に片意地張って勝負するのではなく、そのままの状態で放っておい
て自分自身がどうありたいか、理想のイメージを思い浮かべるのです。

 

何度も何度も潜在意識に刷り込まなければこの思考を会得することは難しいのです。
難易度はすこしあがるのですが、長期的に見ればいつもピリピリとした状態から
リラックスした状態の時間が少し増えるとメンタル的にいいはずです。

 

その結果として気づけば「妄想もうよそう!」という副産物がついてきます。

 

この方法が難しい不安や心配が重度の場合は不向きなのでコチラをご覧ください。

 

先の見えない不安や心配の嵐だらかこそ普段のから私のやってるセルフケア

私自身が日々心掛けている「病気の予防」としてのセルフケアのひとつとして
簡単に実践できる方法をご紹介します。

 

私は潔癖もあり部屋には食材(調理を必要とする食品)は部屋に持ち込みません。
自炊をすると冷蔵庫、コンロ、電子レンジなどが汚れるからです。

 

なので必然的に外食です。外食は粗悪な素材のを使用している店が多いので
病気のリスクもあがると言えばあがるのですが。

 

私が外食で工夫してのはシンプルな物しか注文しないということです。

 

シンプルと言うのはできるだけその食品の素材を活かし且つ調理法も茹でる、煮る
蒸すという調理法の食事を注文します。そして低糖質なものをポイントにしています。

 

なぜかというと、多くの飲食店では有機野菜や無農薬野菜は使っていません。
その上調理する調味料は化学調味料や添加物てんこ盛りの調味料、劣悪な油
で調理された物がほとんどだからです。

 

なので例えば

「ほうれん草とウインナーの炒め物」
「ほうれん草のお浸し」

 

というメニューがあったら私は後者を選びます。

 

どちらも農薬を使ったほうれん草ですが、前者は着色料や保存料などのてんこ盛り
のウインナーと劣悪な油で炒めたほうれん草です。

 

後者は茹でただけですから、この時点で体内に取り込む調味料や添加物はないと
言えます。あるといえばおそらくほうれん草にかける醤油風調味料でしょう。

 

それでも前者よりはマシなはずです。

そして、ご飯物や麺物はできるだけ控えています。高糖質の食事は血糖値を上げて
糖尿病やがんの罹患リスクがあげるからです。

 

ただ、同じものばかりだと飽きてくるのでたまには揚げ物も食べたり、麺類も食べ
たりします。(月1~3回)

 

またここでは割愛しますが自分にあったサプリを摂取しています。

 

「茹でる、煮る、蒸す」の調理法は外食をしていてもほとんどの飲食店であるので
このようなメニューを参考に選ぶだけでも体への負担は軽減されます。